「全部私のせいだ」と思い込んできた私の記録

「なんで?」と聞いただけなのに
最初は、本当に取るに足らない、小さな引っかかりでした。
ただ、「なんでそんな言い方するの?」と聞きたかっただけなんです。責めたいわけじゃなくて、説明してほしかっただけ。
距離を縮めたくて、気持ちを分かり合いたくて出てきた言葉でした。
でも、返ってきたのは言葉じゃなくて、深いため息と、「はぁ、またかよ」という、うんざりした顔。
その一瞬で、「気になったことを聞いた私」は、
「面倒くさい女」「重い女」に変わってしまいました。
そこからです。
私の中で、「感じたことをそのまま言う=嫌われること」になったのは。
怒鳴り声より、何もないほうが痛かった

怒られたことも、もちろんあります。言葉で刺されるような日もありました。
でも、一番こたえたのは「何もされないこと」でした。
同じ空間にいるのに、透明人間みたいに扱われる。
目が合っても、視線を滑らせていく。
こちらが出したご飯を、無言で食べて、無言でスマホを見る。
「おいしかった?」と聞いても、
「ふつう」とか、「別に」とか。
あるいは、聞こえているのに、聞こえないふり。「ありがとう」のひと言がない食卓が、こんなに冷たくて、こんなに心を削るものだとは知りませんでした。
ただ不思議なのは、外に出るときの彼は、人が変わったみたいに愛想がよくて、親切で、優しい人になることでした。
周りからは「優しそうな旦那さん」「しっかりしてるね」と言われる。
だからこそ、私の中でこう思い始めました。
「家でうまくいかないのは、きっと私のせいだ」
「私がもっと明るくしていれば」
「私が深読みしすぎてるだけなんだよね」
そうやって、自分の感じた違和感を、毎回「私の問題」に書き換えていきました。
玄関の「ガチャ」で、体が固まるようになった

いつからか、玄関のドアが開く音に、体が反応するようになりました。
鍵が回る音がする。
ドアが開く。
足音が近づく。
そのたびに、心臓が早くなって、呼吸が浅くなる。
「今日の機嫌はどうだろう」
「何を言ったら、空気が悪くなるかな」
「今日は、黙っていたほうがいいかもしれない」
そんなことばかり考えて、本当の「おかえり」と「ただいま」を、私たちはどこかに置き忘れてしまいました。
殴られたことはありません。
暴言だけを切り取れば、「もっとひどい人」の方が世の中にはたくさんいるのかもしれない。
だから私はずっと自分に言い聞かせていました。
「これは暴力じゃない」
「耐えられないほどじゃない」
「我慢できてるうちは、大丈夫なんだ」
でも現実には、私は日を追うごとに小さくなっていきました。肩も、声も、行動も、全部。
名前がついたところで、私の息苦しさは変わらなかった

後になって、「自己愛性パーソナリティ障害」という言葉を知りました。
本やネット、体験談。
似たような話を読めば読むほど、心当たりは増えていきました。
「もしかして、うちもこれに近いのかもしれない」
そう思った瞬間、少しだけ救われた気もしました。
「私が全部悪いわけじゃなかったのかもしれない」と。
でも、そこに名前がついたところで、
目の前の生活は何ひとつ変わりませんでした。
診断名があろうとなかろうと、私が家で落ち着けないことには変わりはない。
怖いと感じているこの胸のざわつきは、どんなラベルを貼っても、消えてはくれなかった。
結局のところ、大事なのは言葉の分類じゃなくて、
「自分の家で、安心して息ができるかどうか」なんだと、今は思います。
話し合いをしても、いつも「反省会」をしているのは私だけ

何度か、勇気を出して伝えようとしました。
震える声で、「あのとき、傷ついた」「あれは悲しかった」と。
望んでいたのは、責め合うことじゃなくて、「そう感じたんだね」と受け止めてもらうこと。
ただ話し合いたかっただけなんです。
でも返ってくるのは、決まってこんな言葉でした。
「被害者ぶるな」
「そんなささいなことで?」
「お前が神経質すぎるんだよ」
「普通の人はそんなことでいちいち傷つかない」
気づけば、最後に「ごめん」と言っているのは、いつも私。
「ごめんね、私が気にしすぎた」
「ごめん、ちょっと感情的になった」
本当は、過敏だったわけじゃない。
ただ、怖かっただけ。
これ以上空気が悪くなったらどうしようと、怯えていただけ。
話し合いのたびに、「やっぱり私が悪い」という結論で終わることに、私はいつしか慣れさえしてしまっていました。
私が「私らしさ」を片付けてしまった頃

好きな服がありました、少し派手だけど、自分が気分よくなれる服。
前は迷わず着ていたのに、ある日から、それを手に取るのをやめました。
「そんな格好で行くの?」
「派手じゃない?」
「似合わないって言われたらどうしよう」
先回りして想像して、選ばないようになったんです。
友達と会う約束も、少しずつ減っていきました。
「また文句言われるかもしれない」
「『遊んでばっかり』って思われるかもしれない」
そう思うと、誘いのLINEに「また今度」と返すほうが楽でした。
自分の意見を言わないほうが、家の中は静かでいられる。自分の欲を出さないほうが、波風は立たない。
そうやって選び続けた結果、気づいたときには、私は自分の輪郭をほとんど失っていました。
何が好きで、何が嫌いで、どうしたいのか。
自分のことなのに、自分で答えられない。
「私」がどこにもいない感覚だけが、じわじわと広がっていきました。
「これってモラハラ?」と言い切れないままの私
今でも、正直に言うと、はっきりとは言い切れません。
「これはモラハラです」と、白か黒かで判断する自信は、まだありません。
世の中には、もっとひどい暴力を受けている人もいる。
身体的に傷つけられている人もいる。
ニュースや本を見れば見るほど、私は自分にこう言い聞かせてきました。
「私はまだマシなほうだ」
「これぐらいで弱音を吐いてはいけない」
「耐えられているうちは、大丈夫なんだ」
でも、一つだけはっきりしていることがあります。
私は、ずっと息が浅かった。
家にいるのに、くつろげなかった。
心から「ただいま」と言える場所が、どこにもなかった。
それって、やっぱりどこかおかしい。
「普通のこと」として飲み込んではいけない気が、今はしています。
「私が悪い」と検索しているあなたへ

もしかしたら、あなたも似たような検索をしたことがあるかもしれません。
「私が悪いのかな」「私が我慢すればいいだけ?」
そんな言葉を打ち込みながら、画面を見つめているのかもしれません。
優しい人ほど、自分を責めます。我慢強い人ほど、
「自分さえ耐えれば」と考えてしまいます。
「相手も疲れてるんだよね」
「機嫌が悪い日くらい誰にだってある」
「私も完璧じゃないし」
そうやって、相手の事情を汲み取りながら、
自分の感情にふたをしていく。
でも、ひとつだけ伝えたいことがあります。
怖いと感じる心は、間違っていません。
「嫌だ」「苦しい」「しんどい」と感じるその感覚は、あなたの弱さではなく、あなたを守るためのサインです。
縮こまって、びくびくしながら暮らすことが、
「普通の結婚生活」であるはずがない。
笑うときに、相手の顔色を確認しなきゃいけない関係を、「これが夫婦ってものだよね」と自分に言い聞かせ続けなくていい。
私はまだ答えを出していない。でも、決めたことがひとつある
正直に言うと、私はまだ大きな決断をしていません。離れるとも、続けるとも、まだ言い切れない場所にいます。
「子どものことはどうする」
「経済的にやっていけるのか」
「周りに何を言われるだろう」
考えなければいけないことが多すぎて、
足がすくんでしまう現実もあります。
それでも、ひとつだけ、心の中で決めたことがあります。
もう、自分だけを責めるのはやめたい。
何かうまくいかないたびに、「私がダメだからだ」と結論づけるクセを、ここで手放したい。
自分の味方を、ほんの少しだけでもいいから、自分自身にしたい。
それは、誰かを悪者にすることではありません。
誰かを一方的に裁くことでもありません。
「私はこう感じている」と認めること。
「怖い」「悲しい」「寂しい」を、なかったことにしないこと。
それは、あなたがあなたでいるための、
とても小さいけれど、とても大事な決意です。
「全部私のせいだ」と思っていたあの日々を振り返って

長い間、私はこう信じていました。
怒らせたのは私。
空気を重くしたのも私。
うまくやれないのも、全部私。
だから、自分をどんどん削りました。
意見を減らし、感情を薄め、望みを小さくしていった。
「これくらいで満足しなきゃ」
「これ以上求めるなんてワガママだ」
そうやって、自分の心にブレーキをかけ続けました。
今でも正直、「私は悪くなかった」と胸を張って言う自信はありません。でも一つだけ、はっきりと言えることがあります。
私は、こんなに怯えながら生きるために結婚したわけじゃない。
家の中で深呼吸もできない毎日を、
「仕方ない」「みんなこんなもの」と飲み込んで終わらせていいはずがない。
だから私は決めました。
もう、自分の感覚を無視しない。
もう、「気のせい」で片付けない。
もう、「私が悪い」にすべてを回収しない。
それでも、やっぱり怖い

本音を言えば、今も怖いです。
現実を直視するのも怖いし、何かを変えようとする自分の行動も怖い。
「これで余計に関係が悪化したらどうしよう」
「周りに知られたらどう思われるだろう」
そんな不安は、今も頭の中をぐるぐる回っています。
でも、それ以上に怖いものができました。
このまま、自分が完全に消えてしまうこと。「私」が何を感じているのかさえ分からなくなって、
ただ誰かの機嫌に合わせて生きるだけの人生になってしまうこと。
その未来を想像したとき、私は小さくてもいいから、動きたいと思いました。
誰かに話してみるかもしれない。
日付と一緒に、言われたこと・されたことを書き留めるかもしれない。
自分の本音を、ノートに殴り書きするだけの日があるかもしれない。
それでもいい。どんなに小さな一歩でもいいから、
私は、私の味方でいる練習を始めようと思っています。
もし今、あなたの中にも「限界かもしれない」という声があるなら

ここまで読んでくれたあなたの、心のどこかで、
「もう限界かもしれない」という小さな声が聞こえているなら、どうか、その声を、今度こそ無視しないでほしい。
「みんな我慢してる」
「私だけが弱い」
そうやって、その声を押し込めなくていい。
あなたの人生は、誰かの機嫌を伺い続けるためにあるんじゃない。
あなたは、本当はもっと、安心して笑っていい存在です。
びくびくせずに眠っていい人です。
家で、肩の力を抜いて深呼吸していい人です。
私は、その当たり前を、もう諦めないと決めました。あなたも、あなたの「当たり前に安心できる場所」を、諦めなくていい。
今すぐ大きな決断をしなくてもいい。
でもせめて、自分の気持ちだけは、あなた自身が信じてあげてほしい。
「私は、怖いと感じている」
「私は、苦しいと思っている」
その事実をなかったことにしないこと。
そこからしか、何も始まらないから。
あなたが、あなたの人生の中で、
少しずつでも、自分の味方でいられますように。
そしていつか、
「私が悪いから」ではなく、
「私は、私を大切にしていいから」という理由で、
選び直せる日が来ますように。
過去の私へ伝えたいのです、早く気付いて。

