お買い忘れはございませんか?
Amazon
SHARE:

末期がんでも自宅で過ごせることは可能|父が教えてくれたこと

末期がんでも自宅で過ごせることは可能|父が教えてくれたこと

末期ガンでも、自宅で穏やかに最期を迎えることは十分に可能です。
これは理想論ではなく、私が父を自宅で看取った、ひとつの「現実の選択肢」としてお話しします。

「家で看取るなんて無理」から始まった

正直に言うと、私はずっと
「末期ガンなら、最期は病院で看取るもの」
「家族だけでケアなんて、とても無理」
と思い込んでいました。

これまで見てきた末期ガンの患者さんは、みんな病院のベッドの上。
点滴やモニターにつながれ、眠るように横たわっている姿しか知りませんでした。
だから、父が末期ガンだと知ったときも、「自宅で看取る」という選択肢は、最初から自分の中にありませんでした。

ところが、実際に父の病状が悪化し、「余命わずか」と宣告され、父自身が
「病院ではなく、家で過ごしたい」
とはっきり望んだとき、私の中の前提はひっくり返りました。

治療を拒否した父の選択

父は肺ガンの末期で、すでに骨転移もしていました。医学的に考えれば、かなりの痛みがあってもおかしくない状態です。

私は娘として、
「抗がん剤でも何でも使って、少しでも長く生きてほしい」
と願っていました。
けれど父は、手術をしたあとの約2年間、検査も治療も一切受けませんでした。
モルヒネすら使わず、痛み止めも最小限。

当時の私は、その選択が本当に正しかったのか、正直わかりませんでした。
「治療していれば、もっと一緒にいられたんじゃないか」
「私が説得すべきだったんじゃないか」
そんな葛藤もありました。

それでも父は、その2年間を
・好きなものを食べ
・好きな場所に行き
・会いたい人に会い
精一杯“ふつうの生活”を貫きました。

振り返ってみると、「病人」ではなく「ひとりの人」として生き抜いた時間だったのだと思います。

突然の「余命数時間」の宣告

父の容体が急に悪化したのは、亡くなる1ヶ月ほど前でした。
それまでは、会いに行けば会話もできる状態で、「まだ大丈夫」とどこかで油断していたのだと思います。

ある日、福祉関係の方から私の元に一本の電話が入りました。
「お父さんが大変な状態です。すぐに帰ってきてください」

慌てて地元の病院に駆けつけると、医師から告げられたのは「今にも息を引き取りそうです。余命は数時間でしょう」
という言葉でした。

手が震えて、頭が真っ白になり、「もう間に合わないかもしれない」という恐怖と焦りでいっぱいになりました。


ところが、その後の父は、医師の予想とはまったく違う経過をたどります。

「家に帰りたい」という父の強い意志

病院での方針を相談する中で、父ははっきりと
「病院にはいたくない。家に帰りたい」と自分の意思を伝えました。

一時は「余命数時間」と言われた父が、起き上がり、自分の希望をきちんと話す姿は衝撃的でした。
その瞬間、私は「父の望む場所で最期まで寄り添おう」
と決心し、「自宅で看取る」という選択をしました。

自宅に戻ってからの父は、私や孫の顔を見ると安心した表情を見せ、それまでほとんど食べられなかったのに、柔らかいご飯を少しずつ口にするようになりました。

病院から「余命数時間」と告げられた父と、家で過ごした時間は、結果的に「1ヶ月」。
この1ヶ月は、私にとっても父にとっても、かけがえのない贈り物になりました。

在宅医療は「丸投げ」ではないけれど、ひとりでもない

自宅で看取ると聞くと、
「医療が受けられないのでは?」
「痛みが出たらどうするの?」
と不安になる人も多いと思います。

ですが、在宅医療は「家族だけで何とかする」ということではありません。

・訪問診療の医師
・訪問看護師
・ケアマネージャー
・ヘルパー
・必要に応じてリハビリ職


こうした専門職がチームを組んで、家に来てくれます。

父の場合も、在宅医が定期的に往診し、状態に応じて薬を調整してくれました。
痛みが強くなる可能性があること、モルヒネや鎮静も選択できることなど、事前に丁寧に説明してくれたので、必要以上に不安を抱え込まずに済みました。

実際、父は最期まで強い痛みを訴えることはほとんどなく、モルヒネも使いませんでした。
ただ、これはあくまでも「父の場合」であって、人によっては痛みが強く出ることもあります。


そのときは、医師と相談しながら、鎮痛剤や鎮静を使って「苦痛をできるだけ減らす」ことができます。

介護保険とお金のこと

在宅で看取るとなると、お金の心配をする人も多いと思います。
私自身も、「自宅での医療は高いのでは?」と不安でした。

ですが、実際に介護保険や医療保険を利用してみると、


・差額ベッド代がかからない
・必要なサービスは保険の範囲で利用可能


ということもあり、「思っていたほどお金はかからなかった」というのが正直な感想です。

むしろ、
「もっと早くに介護認定を受けておけば、父も母も、もっと楽だったのではないか」と後悔したほどです。

在宅での看取りを考えるなら、


・早めに介護認定を申請する
・ケアマネージャーと相談してサービスを整える


この2つは、できるだけ早い段階で動いておくと、家族の負担がかなり違ってきます。

「枯れるように逝く」ということ

父の最期の1ヶ月は、身体が少しずつ機能を失っていく過程を、間近で見守る時間でもありました。

・少しずつ食事量が減る
・薬を飲むのを嫌がるようになる
・痰吸引などの処置も拒むようになる

私は当初、
「食べなければ死んでしまう」
「薬をやめたら、死期を早めてしまう」
と思い、必死で飲ませようとしたり、父にきつく当たってしまったこともあります。

けれど、在宅医はこう教えてくれました。
「人は、枯れるように逝くのが一番苦痛が少ないんだよ。無理に栄養を入れても、内臓がもう受け取れない状態だと、かえって苦しくなることもあるんだ」

ガンが全身に広がると、栄養を与えても体がうまく吸収できず、むしろ痰が増えたり、むくみがひどくなったりして負担になることがあります。

私はそれまで、「人は餓死して死ぬ」とどこかで思い込んでいました。
でも実際は、「体が自然に食べ物を受けつけなくなることで、少しずつ機能を終えていく」
という穏やかなプロセスが、多くの人にとって一番苦痛の少ない逝き方なのだと知りました。

病院か、自宅か延命と「その人らしさ」

父は、最期の段階で
「もう薬は飲みたくない」
「痰を吸うのも嫌だ」
とはっきり拒否するようになりました。

私は
「それを続けていれば、まだ生きられるかもしれないのに」
という思いから、つい感情的になってしまうこともありました。

今振り返ると、
「少しでも長く生きてほしい」という願いの裏側には、「自分が父を失いたくない」という私自身のエゴも混ざっていたのだと思います。

延命の治療をするかどうかは、とても難しい問題です。
治療をつづければ、時間は延びるかもしれない。
でもその時間が「その人らしく生きられる時間」なのかどうかは、別の問題です。

父の場合は、


・無理な延命をせず
・痛みを最小限にコントロールしつつ
・家族と会話し、笑い合える時間を保つ


という選択をしました。

結果として、最期の最期まで意識があり、私や孫と会話し、トイレにも自分で行ける日もありました。


「末期ガン=意識がなく、管につながれたまま」というイメージしかなかった私には、これは大きな驚きでした。

「病院に連れていかない」という決意の怖さ

状態が悪化し、
・肩呼吸が出る
・ときどき意識が飛ぶ
という段階になったとき、主治医からは
「余命は3日ほどかもしれません。病院に入院するという選択肢もあります」
と提案されました。

私は正直、病院に連れていった方が「安心」な気もしていました。
けれど父は、往診の医師に向かって強い口調で
「病院には行きたくない。家にいたい」
と告げました。

本人がここまで明確に意思を示した以上、無理やり救急車に乗せることも、強制的に入院させることもできません。

「このまま家で看取る」という決断は、家族にとっても相当な覚悟が必要でした。
「もし何かあったら?」
「自分たちの選択が、父を早く死なせてしまうことにならないか?」
そんな不安で胸が押しつぶされそうにもなりました。

それでも最終的に私は、
「これは父の人生。最期くらい、父の望む形で過ごしてほしい」
と考え直し、「家で看取る」と腹をくくりました。

救急車を呼ぶかどうかを、前もって考える

在宅で看取る場合、「息が止まったらどうするのか」という問題があります。

私は事前に、知り合いの救急隊員にこう尋ねました。「もし父の呼吸が止まったら、救急車を呼ぶべきですか?」

そのとき教えてもらったのは、


・余命がわずかで、明らかに看取りの段階にある場合
・家族と本人が「延命を望まない」と決めている場合


には、救急車を呼んでも、延命処置が優先されるとは限らない、ということでした。

すでに死亡している状態で救急車を呼んだ場合、
・「死亡確認」は救急ではできない
・病院にも搬送されず、その場で警察を呼ぶ流れになることもある
といった、想像していない現実もあります。

在宅で看取ると決めるということは、
「息が止まる瞬間を、家族として受け止める」
という選択でもあります。

これは、頭で理解するよりも、実際にその場に立つと、とても重い現実です。


だからこそ、
・本人の希望
・家族の気持ち
・医師の考え
を、できれば元気なうちからしっかり話し合っておくことが、とても大切になります。

父の最期の様子「下顎呼吸」と静かな眠り

亡くなる直前の父には、いくつかの変化がありました。

  • 足などに出ていたむくみ(浮腫)が、不思議と引いてきた
  • 点滴をしていなかったため、体の水分が自然に調整されていた
  • 口呼吸になり、「口をパクパクする」ような呼吸をするようになった

この「口をパクパクするような呼吸」は、「下顎呼吸」と呼ばれ、
多くの場合、死の数時間前から見られるサインだと、後から医師に教わりました。

父は、亡くなる2時間ほど前に
「冷たいものが飲みたい」
と口にしたので、「エネーボ」という医療用の栄養ドリンクを少し飲ませました。
それを飲んだあと、父はとても気持ちよさそうな表情で眠りに入りました。

体温は少し下がっていて、布団をかけると
「暑いよ」と訴えることもありましたが、その顔は苦しそうではありませんでした。

私たち家族は、その夜、交代で父の側にいながら、短い仮眠を取りました。
そして朝、父を起こそうとしたとき、


・手足は氷のように冷たく
・お腹のあたりだけがわずかに温かく
・瞳孔は開き、身体は力なく垂れ下がっていました。

母は静かに父の目をそっと手で押さえ、閉じました。

その顔は、まるで眠っているだけのようで、「死んでいる」という実感が、すぐにはわかないほど穏やかでした。

「痩せ細った末期ガン」のイメージとの違い

私は、末期ガンの患者さんといえば、
「骨と皮だけのように痩せてしまっている」
というイメージを持っていました。

ところが父は、少し痩せたものの、「ガリガリ」というほどではなく、
「まだもう少し生きるんじゃないか」
と思ってしまうような見た目でした。

だからこそ、父の死と向き合うことが、最後の最後までどこか信じられず、現実味を帯びるまでに時間がかかったのかもしれません。

在宅で看取ってみてわかったこと

不謹慎に聞こえるかもしれませんが、
私は自分自身の最期も、可能であれば「家で看取られたい」と思うようになりました。

理由はいくつかあります。

  • 住み慣れた家で、いつもの風景を見ながら過ごせる
  • 最後の時間を、「患者」ではなく「家族」として一緒にいられる
  • 病院のような慌ただしさや、機械音から解放される
  • 延命をどこまで行うか、自分と家族のペースで考えられる

そして何より、
「ケンカもしたり、笑ったりした1ヶ月」が、私にとってかけがえのない思い出になったからです。
父が残してくれた、最高のプレゼントだと今では感じています。

これから在宅での看取りを考える人へ

コロナ禍以降、病院で最期を迎えることの難しさが注目され、在宅で看取るケースは今後さらに増えていくと思います。

ネット上には、
「ガンの最期は耐えがたい痛み」
「恐ろしい苦しみ方をする」
といった、不安をあおるような情報も多くあります。

しかし実際には、

  • 在宅での看取りを経験したことのない医師も少なくない
  • 適切な疼痛コントロールをすれば、穏やかに過ごせるケースも多いという

現実があります。

もちろん、在宅看取りがすべての人にとってベスト、というわけではありません。


病院での医療が合う人もいれば、自宅での時間を大切にしたい人もいる。


大事なのは、
「どちらが正しいか」ではなく、
「本人と家族にとって、どんな最期がいちばん納得できるか」を話し合うことだと思います。

そのために、ぜひ次の点を意識してみてください。

  • できれば、元気なうちから「もしものとき」の話をしておく
  • 延命治療をどこまで望むのか、家族で共有しておく
  • 在宅医療の医師や看護師に、わからないことは遠慮なく質問する
  • 介護保険・医療保険の制度を、早めに確認しておく

「優しく見守る」ことが、いちばんの支えになる

亡くなる前の父は、とても寂しがり屋になりました。


難しいことをしてあげられなくても、ただそばにいて、手を握って、話を聞くだけで、父の表情がふっと柔らかくなるのがわかりました。

在宅での看取りは、決して楽ではありません。
介護の肉体的な負担も、感情の揺れも、逃げ場がないように感じる瞬間があります。


「早く終わってほしい」と思ってしまう自分に、罪悪感を覚えることもあります。

それでも、

  • その人を「病人」としてではなく、「家族」として扱う
  • できる限り、いつも通りの会話をする
  • ただそばにいる時間を大切にする


それだけでも、本人にとっては大きな安心になります。

在宅で看取ることを迷っている人がいたら、
「すべてを自分ひとりで背負わないでほしい」
「医療や介護の専門家をどんどん頼っていい」
と伝えたいです。

そして、もし選べる状況にあるなら、
「最後の時間を、どこで、誰と、どう過ごしたいか」
を、ぜひ一度、家族で話し合ってみてください。

在宅での看取りは、たしかに覚悟がいります。
でも、うまく支援を受けながら進めていけば、
病院とは違う形の「とても安らかな最期」があり得るのだと、私は父を通して知りました。

この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします
あなたへのおすすめ